杉沢比山、夏の夜に響く軽快な神楽
こんにちは、ぺいたんです!
初めて過ごす遊佐の夏。
夜は涼しくてクーラーいらずの日も多く、東京で過ごしていた夏とはまるで別世界。
とても過ごしやすくて助かっています。

こんなにすがすがしい夏は初めて
そして、夏といえば!そう、お祭り。
遊佐町ではこの時期、毎週のように集落ごとにお祭りやイベントが開催されていて、町全体が活気に包まれています。

音楽祭には私ぺいたんと、5月から協力隊に加入した“まっつん”こと松尾隊員も出演しました🎙
その中でも今回ご紹介したいのが、町を代表する伝統行事「杉沢比山(すぎさわひやま)」。
国の重要無形民俗文化財に指定されている、歴史ある番楽(ばんがく)です。

¶杉沢比山とは
遊佐町杉沢地区に伝わる番楽。番楽とは山伏によって舞われる神楽のことで、鳥海山を修験の地とする修験者が修行のため入峰した際の二之宿とされていた熊野神社にて奉納される。昭和53年に国の重要無形民俗文化財に指定されていて、洗練された美しい型や、水際立った鮮やかな舞振りが特徴。
毎年、8月6日に「仕組(しくみ)」、8月15日に「本舞(ほんまい)」、8月20日に「神送り(かみおくり)」と三晩にわたり演じられているが、昨年は豪雨災害の影響で開催がかなわず、今年2年ぶりの開催。
※さらに詳しくは町のホームページや過去の記事(2022年、2021年、2018年)もご覧ください。
熊野神社の境内に設けられた舞台で次々と披露される舞は、杉沢地区の人々が受け継いできたもの。
どれも見応えがありました。
今回、15日の本舞と20日の神送り、2回の現地公演に足を運びましたのでその様子をお届けします!

┃豪雨の爪痕残る中、2年ぶりの開催
15日本舞の日、役場を出発し、熊野神社へ向かいます。

遊佐中学校から熊野神社へ続く道にはのぼりも出ていました。

月光川の支流、庄内熊野川。昨年の増水時の影響が残ります。

熊野橋は車で通れる状態になっていましたが、周辺ではまだまだ護岸工事が進行中です。
境内には、賑やかさと静かさが共存するような独特の雰囲気が流れていました。

┃厳かながらも軽快な舞の数々
15日の本舞では「番楽、三番叟、翁、景政、高時、信夫、みかぐら、鳥舞、大江山、猩々」の演目が、20日の神送りでは「番楽、三番叟、みかぐら、鳥舞、景政、大江山、猩々」の演目が演じられました。
番楽(ばんがく)
白尉面(はくじょうめん)をつけた一人舞。
千鳥足や横歩きなど、お年寄りの動作を連想させるような不安定さをゆっくり安定した動きで表現していて、矛盾をはらむ独特の雰囲気がとても面白いなと感じました。


この動作は他の演目にも随所に出てきますが、膝を床につけているのを見たのは番楽でだけでした。
踏み込みが深くなる分、腕の角度がついてカッコいいですね✨
三番叟(さんばそう)
三番叟は、小学生や中学生が代々舞い手を務めているのだそう。
横に大きく跳ねるような軽やかな動きが特徴的で、若さあふれる姿とぴったり重なっていました。舞台の空気が一気に華やぎ、観客もぐっと引き込まれていきます。


本舞と神送りではそれぞれ別の舞い手が演じていました。
翁(おきな)
「ほっぉ〜おっ」と響く独特の掛け声が印象的。重くゆったりとした動きが多く、舞台から放たれる静かな迫力に思わず釘付けになってしまいます。

景政(かげまさ)
景政は2人舞。中学生や高校生が舞う演目で、他の演目に通ずる基本の型となっていると、大江山の演目を舞う今野さんが教えてくれました。
刀を手に戦場へ切り込む景政の姿を、力強くかつ軽快に表現。剣戟のやりとりに会場からは息をのむような緊張感が漂い、最後は大きな拍手が響きました。

本舞

神送り①

神送り②
本舞と神送りでは舞い手が付けている襷の色が逆になっていたことに、記事を書いていて気づきました…!
高時(たかとき)
鎌倉幕府の執権でありながら飲酒に耽り政務を省みなかった北条高時が、田楽法師に化けた烏天狗になぶられる様子を描いた演目。
舞台上では鬼が現れ、高時を襲わんとするように舞台全体を広く動き回ります。

信夫(しのぶ)
信夫の太郎景時(かげとき)が陸前高館(たかだて)の戦いで多くの敵を切り伏せた様子を描いた武者舞。
番楽の中では最も好んで舞われる舞なんだとか。
今回見た演目の中では唯一締太鼓を用いた舞で、終盤では左右の足を大きく高く繰り返して振り上げながら刀をへそ前で旋回させるという激しい動きがあり、景時の武勇を感じる舞でした。

顔に滴る汗が舞の激しさを物語ります。
みかぐら・鳥舞(とりまい)
みかぐらは雄鶏と雌鶏が戯れ合う様子を、鳥舞は雄鶏と雌鶏が睦み合う様子を描いた舞。
しゃがんだまま手を取り合った状態から、繰り返し飛び跳ねながら回転していく動きなど、他の演目にはない躍動感あふれる動作が特徴的でした。
エネルギッシュな舞である上に被り物や着物が華やかで、舞台が狭く感じられるほどです。

大江山(おおえやま)
源頼光(みなもとのらいこう)と渡部綱(わたなべのつな)が大江山に住む鬼を退治するという話を描いた舞。
3人で展開される攻防は舞台の隅々まで広がり、客席にまで届くような臨場感があります。
特に鬼は、舞台の近くにいる子どもたちやカメラマンに向かって威嚇する場面が多々あり、見る人を飽きさせないエンタメ的要素を感じました。


ちなみに、後でお話しを聞いたところ、大江山の舞い手の一人の今野さんは僕と同い年ということが判明!
小学生の頃は「お菓子とジュースがあるよ」とおじいちゃんに手をひかれ、公民館で舞の練習をしていたのだとか。
遊佐町でお仕事をしているそうで、今後も舞い手を続けていきたいとお話ししてくれました。
猩々(しょうじょう)
最後に登場するのは、大トリの猩々。猩々とは、顔は人、身体は犬のような、全身を赤く長い毛に覆われた、お酒が大好きな中国の想像上の動物です。
舞の見せ場はなんといっても、逆立ちで舞台を周回する場面!
観客からも自然と「おぉー!」と声が上がったり、拍手が沸き起こったりして大盛り上がりの最終演目でした。
舞い手への声援が飛び交う瞬間は、杉沢比山ならではの独特の一体感だなぁと感じました。


猩々の舞い手の方はかれこれ25年ほど猩々の演目を舞い続けているということで、「練習すると身体が壊れる」との理由で、逆立ちで歩く練習はしていないのだそう!
長年かけて染み付いた身体操作の感覚があの演舞を支えているということに驚きました。
盛況のうちに今年の幕を閉じた杉沢比山。
たくさん写真も撮れたし、そろそろ帰ろうかな~、と思っていたところ、
なんと、舞台上で始まろうとしていた直会(なおらい)に一緒に参加しないかとお誘いいただきました!

舞台に上がり、そして舞い手の方とお話しができたことは貴重な機会でした。
さらに、研究のための調査で東北芸術工科大学の研究室のみなさんが杉沢比山の取材に来ていたのですが、翌日に予定している舞い手の方への取材に同行させていただけることになり、翌日、杉沢比山の継承に関して、当事者の方々からリアルな声を聞くことができました。
┃継承のための模索
神送りの翌日、集合したのは語りべの館。
お囃子を務める佐藤さん、舞い手を務める伊藤さんからお話を聞くことができました。

舞いで使う衣装の裏話や、舞いをするうえでのこだわりのお話もありながら、話題は、いかにして杉沢比山を継承していくかという内容へ。
全国的に共通することですが、杉沢比山もやはり担い手の確保が大きな課題になっているそう。
みなさん普段はお仕事をしながら舞いも行っているので、仕事の都合で現地公演に出演できない場合もあるのだとか。
2028年に神楽のユネスコ無形文化遺産登録を目指す動きが出ている*中、杉沢比山保存会としても、この動きやユネスコの登録を通して神楽をやってみたいと思う人が増えると嬉しいと話してくださいました。
(*詳しくは全国神楽継承・振興協議会のHPをご参照ください。)

しかし一方で、杉沢比山に幼少から親しんでいるわけではない人が、0から舞の練習をしてもなかなか習得することは難しいと思われるというお話も。
さらに、「杉沢地区で」継承していることで生まれる土着の独特の雰囲気が失われることは避けたい思いもあり、新しい人が入るにしても誰でもいいわけではないという、当時者の方々のリアルな感覚を知ることができました。
“正解”はない領域。口伝を基本としてきた練習方法の変革も想定にはあるそうで、杉沢比山の保存に向けた具体的な動きが今後出てくるといいなと感じます。
┃おわりに
町を代表する文化資源と言える杉沢比山。
少し蒸し暑い夏の夜に、杉林に囲まれた神社で厳かに行われる独特な雰囲気が心地よく、早くも来年が楽しみなくらいハマってしまいました。

また、インタビューを通して、舞い手のみなさんや地域の人たちだけでなく、町全体としてその存続方法について考えていくことが大事だということも感じます。
そのためにも、地域の人たちの思いと誇りが込められた舞台を、ぜひ多くの方々に見てもらえたらいいな。

みなさんも来年の夏、ぜひ熊野神社で杉沢比山を体感してみてください。
きっと、杉沢地区に脈々と続く番楽の、独特の魅力を感じられますよ!

若い背中は何を思うのか───。