来ちゃいなよ。ゆざまち

縄文時代の小山崎遺跡

2023-08-28

/ by kaori

遊佐町の小山崎遺跡。2020年に国指定史跡に指定され、まだあまり知られていない縄文時代の遺跡なのですが、実はスゴイ遺跡なんです!!

縄文時代中期から後期を中心とする、集落と水辺の遺構がとても良好な状態で保存され、日本海沿岸北部の縄文文化を解明するために欠かせない重要な低湿地遺跡なんです!

パンフレットはコチラからどうぞ 小山崎遺跡パンフレット発行のお知らせ (遊佐町役場HP)

 

そんな小山崎遺跡のすごさをウォッチング~!あまりにもすごさが膨大すぎて紹介しきれるか心配(; ・`д・´)  遺跡レベルすごし!

小山崎遺跡」は町の北西部、鳥海山麓の吹浦地区にあります。縄文時代から湧水をたたえる「丸池様」、本州有数の鮭が遡上する「牛渡川」のすぐそばにあります。

 

丸池様、牛渡川の過去記事はコチラからどうぞ 春の丸池様遊佐の鮭 鮭とば&寒風干し

ここに遺跡があったんですね~!何もなーいと思いますが、今は埋め戻してあるんです。ぽつーんと看板があるので見てみましょう(写真右)。

左下の写真で、発掘当時の様子がわかります。山際にあったんですね。

鳥海山の冷涼な湧水と粘土層が「天然の真空パック」となり、縄文時代の当時の痕跡がそのまま保存されていました。

 

それでは、「小山崎遺跡の特徴」をまとめてみます・・・!

(遺跡の情報が多すぎて、理解してまとめるのにかなり時間を要しました!!ふう~(゚Д゚;))

水辺の遺構 低湿地に守られ、当時の環境・遺物が多く残り、縄文の暮らしを復元できる遺跡として全国から注目されています!鳥海山の湧水により、通常では残りにくい有機質の遺物が残存。木工品・漆製品・人骨・獣魚骨・植物など。

(写真左)上から見た水辺遺構、(写真右)発掘作業の様子

水辺の施設 敷石の作業場と集落とを結ぶ道路状の石敷き道。杭列群と木敷も見られます。敷石と木杭を多用した水辺の施設は、あまり例がなく貴重なんだとか。

(写真左)上から見た水辺の施設、(写真右)水辺の施設からみた集落景観イメージ

住居跡 山際の斜面地からは4,200年~3,000年前に縄文人が暮らした竪穴住居跡が発見されています。いくつも跡があり、建て替えながら暮らしていたことがわかりました。

縄文時代の早期から晩期までにわたる縄文時代のほぼ全期の変化が、住居と水辺の施設を含めて一つの遺跡で見ることができる小山崎遺跡。東北地方では類例がなく、通常の低湿地遺跡と比較して圧倒的な情報量を持つそうです。

 

また、全国でも稀な動物・植物の両方が残る遺跡ということです。液体・油や革製品などを除けば、ほとんど全ての道具類、食料残滓が残り、食料の種類や加工・食法の復元などができます。

何千年もの間続いた小山崎縄文人の暮らし・文化を伝えていくことができる貴重な遺跡です。

 

以上、ザックリとですがまとめてみました~

遊佐町埋蔵文化調査室で保管されている、出土品をウォッチングに行ってきました~!

 

まずは、土器から行きます!

約1万年間続いた縄文時代。6つの時期があります。草創期、早期、前期、中期、後期、晩期 土器の形によって分けられているそうです、知らなかった~!

 

遺跡の低地部の環境は時代ごとに変化がありました。早期は海水が入り込む潟湖、前期は干潟、中期末葉以降~湿地。海水が後退していって、だんだんと湿地になっていきました。

早期 約7000~6000年前 かけらの出土品がありました。底が尖った土器だったようです。(写真左)

前期 約6000~5000年前 線状の文様があるのが特徴です。(写真中央、右)

中期 約5000~4000年前 楕円文様、渦巻き文様や立体的な突起が発達しました。

小山崎遺跡に水辺遺構がつくられ始める頃です。

これぞ、ザ・縄文土器という感じですね。火焔型土器も中期なんです。

 

土器の内側をよく見ると、破片の一つ一つに番号が書かれています。なんと、一つ一つ手書きで記入するのだとか!(゚Д゚;) 字が小さく細かい作業~!どの地点から出土したかわかるようにする「注記」という作業だそう。

発掘→水洗い→乾燥→注記 という行程をたどって復元となるんですね。破片から土器を修復するのもスゴイです!一つ一つ接着剤で接合するそうです。

後期 約4000~3000年前 東北や関東の影響を受け、様々な形や文様の土器が作られました。

小山崎遺跡の水辺遺構での活動が最も活発な頃です。

深鉢も様々あります。どれも文様が凝っていますね~縄文のアーティストさんがいたのかなぁ~

晩期 約3000~2300年前 早期の頃と比べるとより薄く硬い土器になり、小山崎縄文人の技術の進歩がうかがえます。(写真左上)

徐々に小山崎遺跡での活動の痕跡が見えにくくなってくる頃です。

 

水辺遺構から出土した土器 後期のものが多いようです。(写真右上、左右下)

大型の深鉢以外にも、浅鉢や小型の鉢、急須のような注ぎ口のある土器、さらには香炉のような土器もあり、斜面の住居群の土器と比較すると、特異な形の土器が目立ちます。

 

土器も盛りだくさんでしたね~!何千年もの変遷を追える小山崎遺跡。一気にワープした感じだわ。

 

 

次に、石器や道具などに行きます!

シカの角で作られた道具や、高い技術力がうかがえる漆製品、木製品は大型部材や様々な木工品などが発見されています。

クルミなどの殻を割る用の石(左上)、石皿と摩石(右上)木の実などを粉にしたり、肉や魚をミンチにします。

砥石(左下)、漆をためた土器(右下)漆は接着剤として使われることもありました。

様々な用途に使い分けた石器の数々。

地元の人の話によると、子供時代に遺跡周辺で石器や土器の破片を拾ったことがあったそうです。

石斧と矢じり(復元) 切れ味がいいそうです!切ってみたいですね~

他にも様々な道具も出土しています。

何でも手作りの時代。物を大事にしていたんでしょうね。今の時代と比べてみると、何かすごく考えさせられます。

水辺遺構から、未完成の舟をこぐオール(写真手前)、太杭(9割がクリ材。写真左奥)などが出土しています。

土偶 祭祀のための土製品。完全な形で見つかることは稀です。

漆塗りの製品

糸玉 糸に赤漆を重ね塗りし、編み上げた装飾品です。(左上)

赤漆塗り木製容器 木工と漆塗りの技術の高さを示しています。(右上)、赤漆塗りの木製品・土器 (下)

装身具 赤漆塗りの土製耳飾りや櫛、動物の骨から作られたビーズ、クマの牙や石で作ったペンダントや耳飾り、シカの角で作った小玉、など様々なものが見つかっています。

 

 

続いて、動物の骨と植物に行きます!

鳥海山には動植物、日本海には魚類や海獣類が豊富でした。また、サケやマスが鳥海山の湧水の川に遡上する場所でもあり、容易に様々な資源を利用することができました。

水辺遺構と、山際の廃棄場から、多くの動物の骨が出土しています。食料や、様々な道具の素材として利用しました。約6000年前の小山崎縄文人の骨も見つかっています。

イノシシ・シカ 最も多く出土しました(ほとんどを占めています)。 、クマ

イヌ 近くの吹浦遺跡からは、ほぼ全身の骨が発掘されています。 、

クジラ 体長5m以上と推測されます。

アシカ かつてはニホンアシカが日本全国に生息していました。

水鳥 冬に渡ってくる水鳥が多いです。 、マダイ

サケ 縄文時代からサケが遡上し食されていました。サケの歯や骨は柔らかく残りにくいため、見つかることが少ないそうです。 、カスベ(アカエイ) 、シンジョウ(アイナメ)

 

また、厚さ30cm程度の小規模な貝塚も発見されています。9割がシジミでした。

トチ あく抜きのための水さらし場が発見されていませんが、食料としていた可能性があります。

オニグルミ 各時期で発見されていることから、食料として利用されてたことがうかがえます。

クリ 遺跡周辺に沢山あったことがわかっています。水辺遺構の杭材などに多く利用されました。

コナラ 約6000年前の地層から、長期間保存のため先端が取り除かれたコナラがまとまって出土しました。

アサ、ヒエ、ゴボウ近似種 栽培されていた可能性のある植物です。アサは、同じ鳥海山麓の縄文遺跡である由利本荘市菖蒲崎貝塚から「煮炊き」という国内初の使用状況が確認されています。

 

 

最後に、保管の様子を見せてもらいました!

出土した地点、種類ごとに分けて保管されています。

出土した土をナンバリング(左上)。土壌サンプルが大量に保管されていました!

ふるいにかけます(右上)。種類ごとに分けていきます。なんて細かな作業なのでしょうか(驚)!!

土も大きさごとに分類(左下)。すごいです、ここまで細かくされているんですね!

出土品となります(右下)。木の実と土器が分けられていました。

 

その後の土はどうなるの~?きちんと保管しているそうです。気が遠くなる作業です・・・ここまで見分けられないなぁ~、全部その他でくくってしまいそう(苦笑)

土器もナンバリング(左上)。一つ一つ丁寧にされていました。感心です!

欠片一つ一つにもナンバリング(右上)。す、すごすぎます!

木片もナンバリング(下左、中)。石もね!(右下)。例外なく石にも手書きで書かれていました。

 

他にも実測作業や拓本、写真撮影や報告書刊行などなど・・・作業が多岐にわたります(驚!)ちなみに現在も、小山崎遺跡の出土品の保管作業や図面整理などをされているそうです(まだ完了していない量の多さに驚きです)。

この日々の細かく丁寧な仕事の上に、出土品が見れるんですね~!発掘調査、奥深すぎます~興味津々です!

何回も取材にご協力いただいた、職員の皆さんありがとうございました。

まだまだ紹介しきれていない小山崎遺跡、知らないことが沢山あります!小山崎縄文人を少し身近に感じることができました。

 

 

縄文遺跡の過去記事はコチラからどうぞ

 

◇遺跡、遊佐町埋蔵文化調査室の問合せ先◇

遊佐町教育委員会教育課 文化係 TEL 0234-72-5892