眠りから覚める永泉寺の史料たち
こんにちは、ぺいたんです!
最近町内のみなさんとお話しをする機会が増え、みなさんそれぞれ町のためにいろんなことを考えてらっしゃるんだなということを実感する日々です。
そんな中で今回、永泉寺(ようせんじ)にてまだ詳細が明らかになっていない歴史資料の調査が進められていると聞き、調査の現場を訪ねてきました!

お誘いいただいたのは、元遊佐中学校の社会科教師で飽海地域史研究会会長の小野寺雅昭先生。
詳細が分からない史料を調べることで、新しい歴史が分かるかもしれないと熱く語ってくれました。

(写真右手が小野寺先生。写真左手は永泉寺住職の熊谷さん。)
永泉寺は、昨年秋に境内で行われたマルシェに足を運んだことがあり、住職の熊谷さんともそのときにお話しさせていただいていたので、個人的には身近なお寺。
そんな身近なお寺に、もしかしたら遊佐町の歴史を塗り替えるような史料が眠っているかもしれないと聞けば、やはり気にならずにはいられません!
そんなわけで、行ってまいりました永泉寺。

┃書棚から見える、当時の関心ごと
調査は書院の本棚からスタートしました。

今はまだ基礎調査の段階で、行うのは史料のリスト化。
本棚にはざっと400冊ほどの書籍が保管されていていて、一つひとつ書名・発行年・著者(または発行者)を記録していきます。



すでに半分ほどは以前一度記録していたとのことで、今回ですべての書籍がリストに追加されました。

(書籍の多くは大正〜昭和初期にかけて発行されたものでした。)
書籍の内容は、仏教書のほかに、大正当時の中学校の教科書や雑誌なんかも。

(さすが曹洞宗のお寺、曹洞宗の書物がビッシリ並びます。)

(高校で学習した三角関数が中学校の教科書に!)

(胎教という考え方が昭和3年当時すでに存在していたとは驚き!)
雑誌たちを眺めていて印象的だったのが、「修身」「心理」「主婦の職分」など人の心や生き方に関する話題が多かったこと。

当時の住職が、宗教の教えそのものの実践だけでなく、より生活に近い形でも人々の心に寄り添おうとしていた、ということでしょうか。
私自身も心のありように関するような本をよく読むこともあり、時代を超えて不思議な親近感を覚えました。
┃押し入れから現れた、歴史の跡
書棚の次は掛け軸や巻物、屏風の調査です。

(歴史素人の僕がまさにイメージしていたような“歴史史料”の登場)
聞くと、これらはなんと住職が普段生活する部屋の押し入れにしまわれていたそう!
灯台下暗し、ということなのでしょうか。そんな身近な場所にこのように立派な雰囲気の史料たちが眠っているなんて。
さて、その内容は果たして・・・

(真剣なまなざしの小野寺先生)
いかがでしょうか、小野寺先生?

「驚くどころじゃない」
やはり、永泉寺に眠っていたのはただならぬ史料たちのようでした!
色鮮やかな版画入りの掛け軸、白衣の観音像を描いた繊細な図、そして何より圧巻だったのは、190cmを超える佐藤藤佐(さとうとうすけ)による書簡。
藤佐は升川の出身。江戸時代の「公事師」、今で言う弁護士のような役割として江戸で活躍した人だそうです。

また、最上義光が永泉寺に宛てて28石あまりの米を給する旨を記した書簡の原本も見つかりました。
写しはよくあるそうですが、原文書が残っているのは非常に貴重とのこと。

史料に詳しくない私でも、それらが放つ静かな存在感には、ただならぬものを感じました。
┃“空間ごと”歴史を読み解く
小野寺先生は、地域の文化的基盤を強化するため、飽海地域を中心とした歴史研究を続けているといいます。
歴史研究に対する様々な思いを語ってくださった中で印象に残ったのは、「歴史を知るには空間を知らないといけない」という言葉でした。
史料の内容だけでなく、「どこに保管されていたか」も、その史料がどう扱われていたかを知る手がかりになるとのこと。
たとえば、掛け軸や書簡が宝物殿ではなく押し入れにあった、ということから、その史料の扱い方や、当時の住職の認識をうかがい知ることができるという話に、歴史研究の奥深さを感じました。

┃永泉寺から始まる、地域の歴史再発見
今回の調査はあくまで基礎的なリストアップであり、今後は各分野の専門家が個別の研究関心に基づいて詳しく調査が行われるのを待つということ。
どんな調査結果が出てくるか、楽しみですね!
住職の熊谷さんは、「永泉寺の歴史でも明らかになっていない点もある。検討中の、寺のパンフレットやホームページのリニューアルに向けて、新しい歴史が知れたら嬉しい。年に一回程度のお寺の歴史勉強会なども実施できたら。」と話してくださいました。
また小野寺先生は、「飽海地域史を庄内や全国的な歴史の文脈の中でどう位置づけていくか、その基礎として永泉寺の歴史を掘り下げたい。」と話してくださり、この調査が大きな目的の第一歩であることを実感しました。

┃終わりに
永泉寺には、まだ町の誰も見たことがなかった史料が数多く残されていました。
その一つひとつを丁寧に見つめ直すことで、遊佐町がもつ歴史や文化の厚みが少しずつ明らかになろうとしています。
すぐに全貌が分かるわけではありませんが、調査が進む中でまた新たな発見があるかもしれません。
永泉寺というお寺が、地域の歴史の中でこれからどう語られていくのか。今後の展開にも注目していきます!
