来ちゃいなよ。ゆざまち

在来作物「善吉菜、彦太郎糯」

2023-08-25

/ by kaori

 

\伝統野菜は地域の宝!/

遊佐の在来作物の「善吉菜」と「彦太郎糯」を紹介します。

どちらも約10年前に、当時の地域おこし協力隊が『 別冊広報ゆざ ゆざのみ』※で掲載し、在来作物を “遊佐固有の地域資源、誇るべきもの” として紹介していました。

あれからどうなっているのか?スポットライトを当てたい、知ってもらいたい!と在来作物に会いに行ってきました♪

作物がそれぞれ辿ってきた歴史、生産者さんに想いを寄せて・・・

 

※『ゆざのみ第3号 在来作物を探して』善吉菜は3~4ページ目 pdfで開きます

『ゆざのみ創刊号 餅』彦太郎糯は6~7ページ目 pdfで開きます

 

在来作物とは

世代を超えて栽培、自家採種され、地域に根づいた作物です。栽培されてきた背景には、その土地の歴史や先人の知恵などがあり、食文化の多様性を維持することができ、次世代へ継承することができます。そのことから「生きた文化財」とも言われています。
しかし、現在の品種改良された作物より、形が不ぞろい、日持ちしない、収量が少ない、などといったことから大量生産に向かず、ひっそりと姿を消している品種もあります。近年では在来作物が持つ作物本来の味わいや栄養、価値や魅力を見直して、在来作物のブランド化を行ったり、飲食店のメニュー化や食品加工を行ったりして、町の活性化につなげている地域もあります。

 

山形県の在来作物

他県に比べて多くの在来作物があり、その数は約170種類あると言われています(うち庄内地方80種類)。

村山地方では赤根ほうれんそう、最上地方では甚五右ヱ門芋、置賜地方では雪菜、庄内地方では温海かぶなどの代表的なものがあります。

 

善吉菜 ぜんきちな

・高瀬地区の下当集落発祥の青菜 ・自家用に数軒しか栽培していない
・タイサイの仲間で葉が厚く、雪が降ると甘みが増す
・漬物用、煮物、炒め物にする。弁慶飯が美味しい(庄内の郷土料理で、味噌おにぎりに青菜を巻いて焼いたもの)

 

年々生産者が減っていたところ、2013年に地域おこし協力隊の岡部隊員(当時)が着目し「ゆざのみ第3号」に掲載。

記事を見た高瀬小学校※の先生が、2014年から3年生の授業で栽培を始めました。下当集落の方々が種まきから教えています。(※2023年3月閉校、遊佐小学校へ統合)

去年、高瀬小学校3年生の総合学習の授業に行ってきました。

小学校では毎年育てた善吉菜を、道の駅 鳥海ふらっとで販売をしたり、給食で味わったりしていました。

2021年には、古民家カフェ「わだや」のおやきの具材を考え販売しました。(過去記事はコチラからどうぞ 高瀬小学校へ行く 善吉菜のおやき

8月下旬~種まき、12月頃~収穫をします。

今回は種まきができなかった為、10月中旬に生産者さん提供の苗を定植しました。小雨の中、教わりながら頑張って植えていました!

11月末 大きく育っています。

12月中旬 収穫です!雪に打たれると、粘りが出て甘みが増すのだそう。

販売用に善吉菜の手書きの紹介文を付けて、1株づつ袋に詰めます。

道の駅 鳥海ふらっとでの販売会。好評ですぐに完売しました。

1月 漬物にして弁慶飯作りにチャレンジ!

善吉菜を味噌おにぎりに巻いて焼きます。炙ると香ばしく甘みが出て美味しい!善吉菜の味は、山形青菜や野沢菜を優しくした味に近いです。

遊佐の野菜はどれも優しい味がします。鳥海山の土と湧水のおかげでしょうか。

 

かつては冬の保存食として、漬物にして多く食べられていた善吉菜。他の野菜が流通するようになった、若者が漬物を食べなくなった、種を採取するのに手間がかかる、といったことから次第に姿を消していきました。

 

種採りから栽培している方は少なくなりましたが、皆さんで種や苗を分け合い毎年楽しみに育てているそうです。しかし、善吉菜の大きさが以前より小さくなり、形も変わってきているとのこと。

また生産者が80、90代と高齢となり、続けられなくなった人や知っている人も少なくなるなど栽培の継承の難しさを感じました。

 

100年以上前から続いている善吉菜。「絶やさないためには、栽培を続けていけるよう取組みを行うことが大切」と小学校の先生方からお話を伺いました。これまで作って繋いできた方々のおかげで食べることができています。

 

 

彦太郎糯 ひこたろうもち

・高瀬地区の富岡集落発祥のもち米。
・香り豊かで風味が良くコクがある。餅の伸びがしっかりとしている。
・冷害に強く収量もあり、かつては東北各地で栽培されていたが、稲丈が長いため倒れやすく(1.5m位)、コンバインでの収穫ができなかったことなどから、生産者がほぼ途絶えていた。

 

2006年に齋藤武さん(藤井集落)、伊藤大介さん(大楯集落)ら興味をもった若手農家が、農業試験場の品種保存用の種籾から復活させました。生産グループ有限責任事業組合「ままくぅ」として栽培しています。

 

「遊佐の宝、町が誇れる財産です。絶やさないように生産を続けることが大事。より生産者が増え、多くの人に食べてほしい。」と齋藤さん。

遊佐地区 大楯集落 伊藤さんの田んぼ 去年撮影に行ってきました。

5月 鳥海山を見ながらの田植え。この季節の遊佐ならではの風景です。

青々と育った苗。一粒のお米からすごい、生命力を感じます。根っこも立派に伸びています。

6月 しっかり根付き、7月 勢いよく生長中。

8月 穂が出てきました。午前中の数時間しか咲かないという稲の花 。

9月 だんだん実って黄金色に。稲穂のいい香りがしますよね。

10月 収穫です!今では長い丈にも対応できるコンバイン。

伊藤さんの背丈ほどもある彦太郎糯の稲!昨年も立派に育ちました。

 

米どころの庄内地方では、明治から昭和にかけて民間育種が盛んに行われ、より良い米をと今の品種につながる亀ノ尾などの代表的な品種が育成されました。(コシヒカリ、はえぬき、つや姫の祖は、亀ノ尾なんです。)

 

彦太郎糯は、大正時代に富岡集落の常田彦吉氏が山寺糯の変種から4年をかけ選出育成し、昭和10年に山形県の奨励品種となりました。当時、もち米の代表的品種の一つでした。現在も富岡集落で栽培が行われています。

「彦太郎糯発祥の地」石碑 富岡集落の皇大神社にて

先人の功績の上に、今の美味しいお米があるんですね。次の世代にしっかり伝えていきたい庄内平野のお米です。

写真左:彦太郎糯の丸餅は年末年始の人気商品です。雑煮や汁粉に入れても煮崩れしません。写真右:「古民家カフェ わだや」のおしるこに使用されています。

 

もち米は、彦太郎糯の持つ美味しさが見いだされ、福岡の老舗和菓子店「鈴懸」※の塩豆大福などの和菓子に使用されています。(※博多に本店・支店。東京、名古屋に支店。 )

 

丸餅 12月頃~「道の駅 鳥海ふらっと」にて販売(入荷待ちの場合があります。ご確認ください。)

汁粉 12月頃~「古民家カフェ わだや」 にて販売(入荷により彦太郎糯でなく、でわのもち使用のことがあります。ご確認ください。)

 

 

\NEW/ 彦太郎糯で醸造した日本酒がまもなく発売!とのことです(数量限定)。楽しみですね♪ 試作では、風味豊かなコクのある味わいに仕上がっています。

 

日本酒 まもなく発売 「道の駅 鳥海ふらっと」にて販売予定

今夏、数量限定販売のクラフトビールに彦太郎糯が使用されています!

「遊佐FAN!CRAFT」クラフトビール第3弾。今年のテーマは「晴」。遊佐町から今日をハレにする、笹巻ペールエール

遊佐の在来作物の「彦太郎糯」、鳥海山麓の「笹」「湧水」、遊佐町産の「大豆」、国産の黒糖を使用。まさに笹巻仕様です♪

 

◆取扱店【遊佐町】道の駅 鳥海ふらっと、グリーンストア、鳥海温泉 遊楽里
【銀座】山形アンテナショップ おいしい山形プラザ
◆飲食店【遊佐町】BAR BLUES CATS 、やきとり鈴
【米沢市】おしょうし処しげ坊、なみかた羊肉店めえちゃん食堂
【世田谷区】呑み食い処 優
※好評の為、入荷待ちの場合があります。お問合せの上、お求め・ご飲食下さい。

◆ネット店舗「遊佐fun菜彩マルシェ」

 

これからも彦太郎糯の広がりがたのしみです。ぜひ味わってみて下さい!

伊藤大介さんは米農家の7代目。いろいろな作物の栽培に取り組まれています。

つや姫、雪若丸の他に、ササニシキや古代米、プリンセスサリーなど様々な品種の米を栽培。

またパプリカや白ナス、リーキや葉ボタンなど野菜等のハウス栽培も行っています。

 

でわのもちの稲わらは、滝ノ浦集落のアマハゲのケンダンに使われているんです(吹浦地区の3つの集落に伝わる小正月行事)。長い藁が必要なので手で刈ります。伝統行事に稲は欠かせないものなんですね!

 

 

◇編集後記◇ ~善吉菜が存続の危機、 伝統野菜は地域の宝~

今回、苗の定植から収穫までの作業を知ることができ貴重な体験となりました。丈夫な苗に育てるだけでもいくつもの作業があることに驚き、また種採りなどの作業も手間がかかりますが、毎年行っていることに改めて大切なことだと実感しました。

 

「善吉菜」は、生産者に若手がいないことから存続の危機に瀕している状況だと感じました。何とかして守ることができないでしょうか。

一例ですが、山形県北東部の真室川町では継承のため真室川伝承野菜の会が2017年に発足し、種の管理や生産振興、栽培技術の伝承などを行っています。

こういった取り組みがあると、新たに栽培したい人に伝えることができます。また、在来作物の掘り起こしや記録として残すことなど、未来へつないでいくには新たな仕組み作りの必要性も感じました。

 

在来作物は様々な可能性を秘めているのではないかと思います。遊佐の人たちが好きだった味、食べていた味を知ることができ、その当時の食を想像して今の食文化との違いを比べることができます。そして、作物を通して町の魅力を知るきっかけになると思います。

これからも栽培を続けて、後世へと食文化のバトンをつないでいってほしいです。遊佐の先人たちが作ってきた、遊佐にしかない作物、地域の宝を大切にしたい。そして食を通して遊佐ファンが町内外に増えていってほしいと願います。